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2017/06/30 14:03:19 ブログカテゴリ 日記 | 書庫 全般
都の日暮れ 434
倉田洋平は母親に兄洋平八のロンドンでの生活ぶりを話した。住まいはケンジントン宮殿の近くでイギリス人の友人も多く大変楽しく生活をしている。ただデザイン関係の仕事には自分の才能ではついていけず近々沖縄に帰るだろうとの事だった。ただどうも結婚につながる話しは全く聞けなかったと言った。兄に帰ったら倉田総合産業に戻ってきて貰えるかと聞いたが考えておくとだけ言っていた。母さん、兄が帰ってきたら兄から預かった一億えんに私から一億の二億円を母さんに預けておく積もりだと言った。母親は次期社長はどうなると聞いていたが、私個人は小野寺部長、副社長に野中総務部長、専務に倉田英二で決まるだろうと言った。しかし倉田英二がどう出て来るかねと母親は言った。
つづく


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2017/06/28 14:16:05 ブログカテゴリ 日記 | 書庫 全般
宮沢奈津子は何度も倉田洋平に御礼を言って帰って行った。翌日、友坂理恵から連絡があり宮沢奈津子からいろいろ聞いたと言った。赤木さんとか云う女性と知り合いになったそうですが余り夢中にならないで下さいね倉田洋平さん、私を何時でも誘って下さいと相変わらず元気そうだった。しかしその後、緑川さわ子や榊原秋子、長沼安子からは何の連絡もなかった。洋平も敢えてしなかった。野中は花林育子をなんとか誘ってみたいと思っていたようであった。洋平は久しぶりに母親を訪ねた。洋平、お帰りなさいと相変わらず元気だった。母親の顔を見るとある決心がぐらつくのであった。
つづく


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2017/06/26 16:24:17 ブログカテゴリ 日記 | 書庫 全般
都の日暮れ 432
暫くして宮沢奈津子から連絡があり新都心の中華楼で会った。久しぶりだった。宮沢奈津子は、野中さんから倉田洋平さんが姉の智恵子を全て許して下さるとの話しがあり、早速姉に連絡をとりました。姉は涙を流しておりました。逃避行を止め近く沖縄に帰り、何ゆえに結納金を持って姿を消したのか等の経緯を話し改めて許しを得たいと話しておりましたと言った。そうですか、お帰りになりますかと洋平は喜んでいた。宮沢奈津子は倉田総合産業の次の社長に倉田洋平さんがなられるのですか?と聞いた。いや、私ではありませんといい、先日は那覇空港まで見送りありがとうございました。あれからロンドンに行き、兄に会い、スイスに行きアルプスを堪能して来ました。スイスのジュネーブで偶然に赤木桂子さんと云う女性に会いパリの空港まで見送りに来てくれていましたと言った。奈津子は、そうですか、それは良かったですねと言ったが内心では何故かいやだった。洋平がお母様を亡くされ大変だと思いますが何か経済的に困った時は私を頼って下さいと言った。奈津子はハンカチ
を出しそっと目頭を拭いていた。つづく


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2017/06/26 13:54:35 ブログカテゴリ 日記 | 書庫 全般
都の日暮れ 431
倉田洋平は次期社長を決める重役会に向け動き出した。まず小野寺経理部長と会った。倉田洋平は暫くイギリスに行って来た。兄の洋八とも会っていろいろ話した。次の社長には小野寺部長を推薦する事に成った。副社長には野中総務部長でいき、倉田英二さんは専務のままでお願いしたいと云うことになった。また私は何時でも常務を辞めてもかまわない。小野寺部長、これでまとめて欲しいと言った。小野寺部長は私が社長だなんて、洋平さんになって貰いたいと断った。しかし洋平が株主総会で重役会で決めるようににとの事だから私が小野寺部長を推せばまあ決まりですよ。母親も小野寺部長びいきですからと言った。ただ野中の副社長だが小野寺部長から野中を薦めて貰いたい。専務は不服だろうが私はこの人事に決めた。八月から小野寺部長は社長だ。社長給与はかなりなものにするように私から働きかける。社長になったら好きなように倉田の会社を経営して下さいと言った。小野寺部長はついにこの案を飲んだ。洋平は他の部長などの重役にも働きかけておいた。三人は反対した。
四人には次の社長が決まったら私から幾らか御礼をと匂わせておいた。こういう事には何故か洋平に皆ついていく。洋平には不思議なところがあった。
つづく


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2017/06/25 13:16:08 ブログカテゴリ 日記 | 書庫 全般
都の日暮れ 430
その頃、鳥取県の境港の旅館で働いている宮沢智恵子は東京の予備校生花村哲夫と連絡をとっている。花村哲夫は八月一日に東京にあの水難事故で智恵子を助けた三人が集まるので宮沢智恵子さんも是非上京して下さいと言った。承諾した。そして、うんと受験勉強して来年は合格して下さいねと智恵子は言ったが何故か虚しかった。それから妹の奈津子から連絡があり、智恵子は今日から自由な身になったと思い涙を流した。そして奈津子に私の逃避行も終わりにして近いうちに沖縄に帰り、倉田洋平さんに心から謝りたいと言った。また倉田洋平と婚約破棄をした経緯を詳しく話す積もりであった。もう花村哲夫に期待し、立派な医者にする夢は完全に消えていた。そうなるのであったら一人の男の人生まで壊す必要は全くなかったのであり智恵子も普通の結婚をしていたはずであった。運命のいたずらなのか、果ては命を救われた恩義を余りにも最大に感じた結果の不幸であったのである。智恵子は思った。倉田洋平は自分が結納金を持って結納の日に姿を消した事が洋平自身の自尊心を大き
く傷つけ、外国で人生をやり直そうと思っているに違いない。そこまで智恵子は考えていた。涙が流れ落ちていた。
つづく


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